akagirexのブログ

気が向いた時に書く日記

頭の中に人間が多すぎる

最近X(twitter)で「頭の中で喋ったりするのは少数派らしい」みたいなポストが回ってきた。

ボーっとし方、文章の読み方、暇な時の物の考え方……この辺はそういえば言語化するのが難しいのかも。一々教えてもらうことではないし、共有できないし。

文章の書き方だってそうだ。私はコピー機みたいに指が半自動的に文章を書いている。そうやって出力された言葉は語順がおかしかったり誤字脱字が多い。なので読み返しながら修正を入れてなんとか読める文章へと昇華させてやる作業が必要になる。二度手間である。

でもこんな文章の書き方をする人間は少数派だろう。普通は考えながら指を動かすはずだ。

 

なんか段々話が逸れてきた。軌道修正するか。

 

頭の中に人間が多すぎるという話。要するに精神の調子がよくないのである。

物事を考える時(というか割と常時かもしれない)、私の脳内では色んな方向から言葉が浮遊してくる。もうここからは全てイメージの話なので薄目で見て欲しい。

よくある天使や悪魔みたいなやつ。理性と本能ともいえよう。いつもならその中から取捨選択ができるのだ。これは今考えないといけないやつ、これは無関係だから無視。ハイハイお腹空いたね~。みたいな。

それが今ヘタクソすぎる。

まず脳内がうるさすぎる。いつもなら言葉が浮遊しているだけなのに、明確に人が喋っているのである。最近話した人とか、過去にあった出来事の登場人物とかが輪郭をもって脳内でスパスパ煙草を吸い、吸い殻をその辺に投げながらペラペラペラペラとようくもまあ。

そして私はそれを無視していればいいのにちゃんと聞いて考えたりするので余計なエネルギーを使い、疲れる。

今も頭の中で人間たちはキャッキャとなぜか「狙い撃ち」を歌っているし、友人に「お前って猫猫に似てるよね」と言われている(友人へ…これは私が考えすぎているだけなので気にしないで)。

 

原因は明白。ここ最近たくさんの人間に会いすぎていること、それに伴い気を回しすぎていること、年末年始という世間の流れに振り回されていることである。

文章化したら少しは頭の中の人間たちが大人しくなってくれるかな、と久しぶりにブログを書いてみた。今後の自分の参考になるかなとも思ったし。

多少ではあるが人間たちはちょっと静かになった。いなくなったわけではないが、椅子にちゃんとおしりをつけて座り始めたので良い傾向である。なんかブツブツ言ってそうな気はするが、私は今からこの文章を読み直さねばならないので無視できる。

 

これが人格形成失敗サンプルの頭の中である。キショ。

KALDIでコーヒー配ってるあれ

多分、ブラックコーヒーが好きな人はKALDIのコーヒーが好きでも貰ってなさそうなあれ。試飲のことです。最初からそう言えや。

 

コロナウイルスが流行り始めてからパッタリ消えてしまった試飲。お店の入口に店員さんがコーヒーを青い紙コップに入れてくれる、演台みたいな小ちゃな台がポツンと置かれてるのを3年くらい来店する度に見ていた。時々、書きかけの手書きポップが置かれててウケたりなんかもした。嫌な客である。

 

店員さんにとっては試飲がないのってかなりラクなんじゃないかな、と思う。単純に業務が減っているし、店内各所に設置されてある紙コップ専用ゴミ箱の面倒も見なくていいのだ。付随したトラブルも無くなるしね。あれ、コーヒーなくても良くないか?

 

とか考えていた時もあった。

 

んな訳あるかい!人が淹れてくれたコーヒーが有難くないわけなかろう!!

と思ったのでこれを書いている。

 

今日KALDIに行ったら店の前に人だかりができていたのだ。愚かな私は「チッみんなクリスマスのアドベントカレンダーやらシュトーレンやらを買いに来たのだろ……楽しそうで羨ましい……」と言峰綺礼に鼻で笑われそうな偏見を持って人だかり外から店内に入った。

すると店内ですれ違った小学生が青い紙コップを持っているのである。

二度見した。やましいことは何も無いので堂々と小学生を二度見した。手元をである。

あ、あの紙コップは足ながKALDIコーヒーではないか!!!!

補足だが、私は脳内で「KALDIが配っている試飲コーヒー」のことを「足ながKALDIコーヒー」と呼んでいる(だから最初に試飲という言葉が出てこなかった)。足ながコーヒー。人の善意を足ながおじさんで例えるの本当にやめた方がいい。

 

バッ、と思わず陳列棚の下の方を見るとありましたよ。埋め込まれ式ゴミ箱が。紙コップがたくさん入った状態で。

なんかよく分からないけどすごく嬉しかった。店員さんの「コーヒーお願いしまーす」のちょっと投げやりな声も良かった。ゴミ箱を探しながら店内をゆっくり練り歩く人たち。あんなに狭いのに何故か他のお客さんとは一切視線が合わないまま行われる道の譲り合い。

 

試飲のコーヒーが復活しただけでこんなにKALDIが楽しくなるなんてことある……?

もちろん普通にKALDIは楽しい。よく分からない茶葉とか読めない調味料に挑戦するのが私は好きだ。

楽しいのはあれだ。人が見てるものが気になるやつ。コーヒーでつられた人たちが色んなところで立ち止まって商品を見ているので、自分が普段見てない商品に気付くことが出来る。

 

今日は鍋のつゆと冷凍のエッグタルトを買ってみた。明日のひとり鍋パ用である。

 

失って気付く大切さより、復活して思い知る存在感だなあと。

人間は忘れっぽい生き物であることをコーヒー1杯で感じた。

忘れたくないものを忘れてないか、ちょっと怖い。

三連休の初日

久しぶりに祖母に会った。ちょっとだけ、胸が苦しくなった。

www.fnn.jp

深呼吸をすればマシになるのだろうか。でも自分のことなので目をそらすことは出来ない。

 

諸事情でかなり若いこともあり、友達のような祖母である。ふたりでお買い物に行ったり、今の道を選ぶ根幹を作ったのも割と祖母が関係している。そんな頻繁には会えないけど結構私は好きだ。

数年前に一人になった祖母は「のんびり余生を謳歌しようかしらね」と言っていた。実際、学生時代のお友達や兄妹たちとのんびりと旅行に行ったりしたと聞いて私はほっとしていたり。

 

門で出迎えてくれた祖母はいつも通り「いらっしゃい」と笑ってくれた。「お仕事はどう?」と玄関まで腕を組んで歩いた。

靴を脱いでいる時に気がついた。祖母の息が切れていた。マラソンを走ったあとみたいに。

家の中はテレビが付いており飲みかけのお茶が置いてあった。庭に行ったりはしていなかったようである。

つまり、門から玄関までの数十メートルを歩いただけで祖母は疲れてしまったようなのである。

キュ·····といつもより祖母に引っ付いて掘りごたつに座った。ふたりで銀杏を剥きながらいつものように地名縛りしりとりをして、お茶をいれた。庭には、行かなかった。しりとりは「一宮」「ヤンゴン」で私が負けた。負けたのでコーヒー豆を挽いたりした。

 

お夕飯、お肉とお魚だったらどっちがいい?と聞くとどっちも最近食べてないわとぼんやり祖母は言った。だから祖母が好きな魚の塩焼きと、祖父がお気に入りだった牛肉を甘辛く煮たやつにしたら気に入ってくれたみたいでよかった。やっぱり祖母の魚の食べ方は綺麗だった。流石漁師の娘。

 

またこうして過ごせるかな。お庭行きたいとか、お買い物しに街行かない?とか言わないからさ。縁側で一緒に星が見れたらそれでいいから。

胸が苦しいのは空気が綺麗だからだろうか。

これが大人のチカラ

ドンキに行って血液を買ってきた。比喩である。

森永牛乳プリンガレットサンドをカゴいっぱいに買ってきた。ココ最近でいちばん幸せな気分になっている。前の車がなかなか右折しなくても全て許したくらいにはウッキウキ。

www.morinaga.co.jp

ほんのりバターの香り、優しい甘さ、口の中の水分を奪っていかずクリームとガレットが分離することもない。ただの美味しい焼き菓子かと思いきや、ちゃんと牛乳プリンが存在していて、ひと口目からあの甘くて優しい牛乳プリンがふんわりとこちらを包み込んでくれる。

 

開発してくれた人、ありがとう。企画してくれた人、ありがとう。

この牛乳プリンガレットサンドを世に出すための書類にハンコを押した全ての人に幸せが訪れますように。そう願わずにはいられない。

 

なんで終売するんですか!??!!!??!!!?!?

いやまあさ〜〜〜〜〜「冷やしてもおいしい!」て書いてあるから夏の商品なことは気が付いていましたよええ。でもこんなに美味しいんですよ!?降ってわいた(災害のように急に訪れた)繁忙期の最中である社会人一般女性の心に余裕を持たせているのはお前のおかげなんですよ!?!?血液なんですよ!?!?

何故近所のスーパーではなく、車で30分かけてドンキにまで行ってると思います??無いんですよ!!もうスーパーには!!

しかも今日は1箱148円になっていましてね。安くなってたんですよ。めちゃくちゃ怖かったけど見ましたよちゃんと値下げの理由を。なんて書いてあったと思います??

 

"商品入れ替えのため"

 

助けて·····ほに助けて·····。

入れ替えってことはもうこの子達が売り切れたら次はないってことじゃん。ここに積まれてるだけ·····?えこれ夢?

積まれてるやつ全部買おうかと思った。でも私以外にも牛乳プリンガレットサンド狂人がいると信じて、カゴに入るだけに収めた。精神力を誰か褒めて欲しい。

 

大人のチカラで買い占めることは出来る。でもここに積んである分が無くなってしまえば、どれだけチカラがあってもどうしようもなくなるのだ。

 

大人になっても人間は無力であった。本当に悲しい。せめてまた来年会わせてくれ。

 

フリーターの向き不向き

人に読んでもらう気があんまりない傍若無人ブログはこちらです。こんな読んでもらう人を選ぶようなタイトルで書くなや。

 

ちなみにこの文章、三連休ほぼずっと家でゲームをしていた人間が、人間の矜恃でイオンまで来てフードコートで久しぶりのご飯を食べたが、お腹が痛くなり動けなくなった状態で書いている。

ちゃんとサラダから食べたのに諸々の体の仕組みが急に動き始めたこの感覚。ビックリして立ち上がりたくない。水のおかわりでさえ取りに行けない。

 

そう。フリーターの向き不向き。

「あれ?私ってフリーター向いてなくね?」と思ったのである。

 

働きたくない。一日家から出たくない。とずっと思ってはいる。でもこの三連休で実感した。無理や。

何故か。まず私が考えたこととか思ったこととか抜きにすると、一番の理由は飯を食わないということである。体重計乗ってウケたよ。一日1kg減ってんだから。

これの最大の問題点としては"自分がお腹すいていることに気付けない"ことにある。体を動かす(これは歩くとかもうそういうレベルのやつ)ことがないと本気でエネルギーが消費されないと思っているらしい。食べることを忘れるし、食欲も無い。

多分、今動けないのも食欲無いのにご飯突っ込んだからだと思う。

 

実はご飯を食べなさすぎてぶっ倒れたことがある。あの時は救急車で運ばれ時間外だったので、医療費が凄いことになった。領収書を思い出したくない。

思い出したくないのでよく覚えていないが、きょうだいに「この現代日本で栄養失調てw」と死ぬほど笑われたので「インドの機内食で3日寝込んだ人間に言われたくねえよ」と言い返したことはよく記憶にある。今思うとなんで言い返したんだろう。

 

恐らくというか確実に、フリーターになり毎日の仕事が無くなると飯を食わなくなる。すると栄養失調が加速し1人では到底暮らせないだろう。病院でフリーターやれってか。冗談も休み休み言え。

 

結論。何故私はフリーターに向いていないのか。無駄にきょうだい喧嘩するようになるから。

 

おわり。

笑うって何 2

つづき。今日の職場での飲み会がちょっと憂鬱なので書いている。

 

女の笑顔が整っているという話。私はこの女たちのことが羨ましくて仕方がないのであろう。自分のために努力できるという点において。

 

努力を内側に向ける。自分で自分を変える力を持っているということ。 そしてそれを実行する行動力。

うわ書いててすごい惨めになってきた。ないものねだりなのかもしれないし、私が勝手に決めつけて斜に構えているからこう見えているだけかもしれない。考えすぎなことは重々承知しているが、文章化しないと頭がパンクしてトラクターの接続部に足でも巻き込んでしまいそうなのでとりあえず書く。なんか色々許して。

 

人と人間関係の討論(そんな言い方をするな)をしていた時、ひとつの出来事に対して受け取り方が真逆なのは何故だろう·····となった事がある。性格の違い、はちょっと横に置いておいて結論は「人格形成期における家族・友人からの扱われ方」となった。

それを考えると、笑顔が綺麗な女になっていない自分にちょっと説明がつくような気がする。

 

そもそも私は人格形成失敗サンプルである。

ある意味これでもうQED.だからもうここで終わっていい?いや意味分からんでしょうが·····。あっごめん··········。

笑うって何

別に病んでないヨ。

先日友人たちと旅行に行った。職場のコンプラがグレーなせいで私の体調も曇りがかってしまい、初日を病院で潰したりしたがそれが惜しいくらい楽しかった。

ちなみに飛行機をキャンセルしたことで発生した諸々の追加料金は日給超えてた。いやまあ俺がわる、いや、本当に俺が悪いのか·····?そもそも会計が·····おっと誰かが来たようだ。

 

女子旅なので大変賑やかだし写真は撮りまくる。なんつったって浴衣着たりしたし。女が可愛いとたくさん写真撮りたくなるよね。まあ私はスマホを一日中ホテルに忘れたりしてたんだけど。惜しい。

みんなで撮ったり撮られたりした写真が入っているLINEのアルバムを毎日チマチマ見ている。一気に見てしまうとなんかもったいない気がして気が引けてしまう。女の可愛さは変わらないので、思い出を忘れないように〜とかではない。私の気分の問題である。

 

その旅行の写真を見ていて思っているのである(進行形)。

 

女たち、カメラを向けられた時の笑顔が綺麗すぎる·····

 

アイドルか?ってくらい整っている。表情筋の使い方をミリ単位で調整しているだろこれは。本当にすごい。ご飯食べてたり、風が吹いていたりメイクがちょっと崩れてしまったりしている時も整っているのである。あの·····何·····?なんで??

顔を見合せて自然に笑っている時と、カメラ目線で微笑んでいる時とで違う笑顔。意図的に自分が写真で盛れる顔をすることができる人間·····。努力と試行錯誤を重ねているのかも·····いやそういう人間とそうじゃない(自然にできる)人間がいることは分かってはいるのだが·····。

 

俺だけ消しゴムマジックで消してやりたい。可愛い女だけを眺めていたいから。

 

気が向いたらこの続きを書こうと思う。正直ここからが一番書きたいところで、一番気色悪いところなのだがものすごく眠い。文章打てなくなりそうなくらい。

 

多分、明日の仕事で嬉しいことがあったら書かないと思う。愛想笑いに疲れて書きたいこと忘れてしまうのでね。