akagirexのブログ

気が向いた時に書く日記

体温という名のエネルギー

これの続きで、祖母の話。

https://akagirex.hatenablog.com/entry/2026/06/27/005320?_gl=1*y8ffo0*_gcl_au*MTUzODk5MDM0LjE3Nzg2NjcyMTQ.

 

お見舞いから帰って、家で適当にダラダラしていたがそれにも限界が来る。

同じ1秒のはずなのに喋るしかやることがなくて気遣いのダムが決壊しそうだ。

違う人間だから意見がたまに食い違い、普通なら擦り合わせをするが疲れている上に家族なので遠慮が無くなる。せっかちさんめ。

 

なので兄とゴルフの打ちっぱなしに行った。お互いに特段上手くもないが時間潰しにはちょうどいい。

無事体力を消費できた我々は闇の中からけたたましく響くカエルの声と、雨が屋根を叩く音を聞きながら健康優良児のように掛け布団を蹴散らしながら就寝した。

私は昨夜爪をカチカチしながら耐えていた違和感、枕の高さがあっていないことと母のゴォ……という排水管のようなイビキが全く気にならなくなっていた。

肉体的にも精神的にも、そんな余裕はなかったのかもしれない。あと爪を切っていた。

子気味良い音は長い爪からしか奏でられない。

 

 

夜中の2時くらい。耳が私の脳みそを叩き起した。

母のスマホが静まった暗闇でキンキン鳴っていた。

恐らくこれだろう。

 

早く止めてよ……と寝ぼけた頭で思っていたかもしれない。

夢と覚醒の間だったため、この時点はそれくらいしか記憶が無い。

緑のカバーのスマホがバイブレーションで床を這うように動く様子はなんとなく覚えている。

 

母の布団からにゅっと手が出てくる。音が止む。雨音の狭間で、電話の向こう側の声がよく聞こえた。叔母の声だった。

「お母さんが……」

細く、明言を避ける、蚊取り線香の煙みたいな声だった。

いつの間にか兄も動いていた。布団を蹴散らして3人で階段を下っていた。

この高血圧家族をご覧。もうトイレの順番戦争を水面下で行っているよ。

車を走らせ病院へ向かう。

当然太陽は昇っていない。雨も上がっていない。静かな自分の心拍数が不気味だ。

 

15分ほど走らせたが出会った車はコンビニのトラックと軽自動車の2台だけだった。

街は眠っている。我々は眠ってはいられない。できることなら眠ってしまう前に、母をたどり着かせなければならない。

 

夜の雨。視界が悪い中、取り敢えず運転をした。

フッ、と私が好きな近所のパン屋さんに灯りが着いた瞬間を見ることができて、これが夢じゃないんだなとようやく確信ができた。

何を正常に判断出来ているのか分からない。

頭の外側は眠っていたが、内側だけが高速で回転していた。

これほど正常な脳みそを前借りしたいと思ったことはない。車の中でラジオは何が流れていたんだっけ。

 

ずっとスマホを見ていた母が「亡くなったって」と呟いた。ようやく、赤信号に引っかかってブレーキを踏めた。

 

 

夜の病院は暗くて人が歩いていないだけで、そこにいる人達は変わらなかった。変わっていたのは、祖母のベッド周りが随分すっきりしていた、ということ。

機械がなくなり、管がなくなり、点滴棒がなくなっていた。

氷枕や、足を高い位置にするためのクッションもなかった。

布団越しに分かる祖母の体のシルエットは細く平たい。

そこには生き終えた、人間の生身の体があった。

 

百聞は一見にしかずとは言うが、生きている人間と生きていた人間の区別のなんと付きにくいことか。

今の祖母の方が生きているように見える。

これは多分、畑でカミキリムシを指で引きちぎっていた元気な頃の祖母のイメージが私の中で強いからなのであろう。

何も着いてない方が、生きているみたい。

みたい。生きて、いる、みたい。

 

こうやって文章にしている方が泣きそうになってくる。感情が追いついてきているんだね。

 

「まだお母さん寝てるみたい、寝てるみたいね」

母が呟いた。兄と私しかいないのに、イントネーションが母の地元の言葉だった。兄と私に話した言葉ではなかったので黙って聞いていた。

母の顔は見なかった。正確には見たが記憶から消しておいた。

母が祖母の体をさすっていたので私も触ってみる。

温かかった。体温が残っていた。

だが体温は残っているだけで新たに生成はされず、私がただ祖母の体温を奪っているだけである。それでも私は奪った。

関節も難なく動かせた。これから血が固まって、手を握って貰えなくなる。今のうちに手を握ってもらった。

肩を揉んだ。二の腕をさすった。お腹をマッサージした。ふくらはぎまで触れた。

 

生物が個体ごとに有するエネルギーは計り知れない。

無から人間は生まれない。食物として摂取するエネルギー以外に人間は人間から得たエネルギーを糧に時間を過ごす。

生物はそこに存在するだけで莫大なエネルギーを消費しており、また同時にエネルギーを放出している。

そのエネルギーの放出を逃すまい、と思った。

思ったから、触って体温を奪った。大気中に逃すにはあまりに惜しい。

 

 

その次の日、普通に仕事に行ったら普段しないミスを流れるようにやってしまった。

ボーッとしていて判断を間違ったのである。私が悪い。

先輩の血圧が心配になるくらい怒られたし未だに挨拶も返してくれない。

まあ嫌いな後輩を対外的に嫌う理由ができたら徹底的に嫌うわな。

 

人間が持つエネルギーは体温だけではない。

目に見えなくて知覚できないエネルギーも含まれている。

それは一度失ってしまうと、回復までに想定以上の時間を要する。

 

そんな知覚できないエネルギーが空けた穴を、人間は言葉で「悲しい」と呼ぶ。

 

 

体温

祖母がこの世からいなくなった。94歳だった。

体温が残っている体に触るのは初めてだった。

 

遠くにいる祖母が脳出血で倒れた、と母から電話があった。

もう意識は戻らないかもしれないが週末に会いに行かないか?との問いに即座に承諾した。ヒマだからである。

その後に家族LINEグループに脳のMRI画像と共に「もう長くないかも」と通達があった。

右脳の上部が真っ白で、出血により圧迫され脳の中心がズレていた。

脳幹に影響がないのが奇跡のようだと思ったことを覚えている。

 

 

地下鉄と新幹線に乗って、とりあえず実家に向かった。

道中考えごとをした。

私もいつか意識が戻ることのない親に会いに行くことになるんだろうか。

もう名前を呼んでくれない親の手を握って話しかける日が来るのだろうかと思うと、ポロポロ涙が止まらなかった。

咄嗟にスマホを見ている振りをしたが、前に立つお姉さんは露骨に上を見てくれていた。ありがとう。

 

新幹線でコーヒーもアイスも買わなかった。そんなことどうでも良かった。この体を早く実家まで運んで欲しかった。

 

 

実家から祖母のところまで飛行機で行った。

通常の面会時間を越えてしまったが、特別に許可されているとのことで薄暗く迷路のような病院を進み、看護師さんに挨拶をして祖母の病室に入った。

 

病室はナースステーションの目の前だった。

 

 

なんと祖母には意識があった。

呼吸が大変そうだったが、「こがなとこまでようおじゃったなあ」と(多分)言ってくれた。

目がキラキラしていて、私の母を目で追っていた。

微笑んでいるように見える。

 

孫だよ、と話しかけた。

目が合う。

会えてよかった、お話できて嬉しい、あなたに会いに来たんだよとゆっくり伝える。

「うん」と返事をしてくれ、頷いてくれる。

手を力強く握り返してくれる。

刺激を与えるために母とふたりで祖母の体を触りまくった。

手を握り、腕を摩った。

肩を揉み、頭を撫でた。

足先を温め、目やにまみれの瞼をこじ開けた。

瞬きもしていたが筋力が無いのであろう、段々目は閉じていった。

だが、手は強く握り続けていてくれた。

 

いつの間にか看護師さんが来てくれていて、今日の様子を教えてくださった。

朝熱があったけど今は引いたこと、お昼に娘さん(私から見た叔母)が来たが祖母は寝ていたとのこと。

看護師さんは母が祖母の家族であることを一瞬で見抜いていた。

それもそうだろう。母と祖母は私から見てもそっくりなのだ。

 

その時母がどんな顔をしているのか、見ればよかった。母の方を向けなかった。

 

 

手をアルコール消毒して病院を出た。

母の用事が終わるのを車の中で待っている時に祖母と握っていた手が変な感じ、

ベタつくけど体温が伝わらない感じがしたので嗅いでみた。

畳から香ばしさを除いたような、少し饐えた臭いがした。

 

 

次の日の昼過ぎも祖母に会いに行った。

母と、兄で向かった。病室には叔母もいた。

 

昨日と違い祖母は話さなかった。

でも話している人を目で追っていた。

だから血圧計で測ってみたら母がいちばん高かった話と、昨日面会の後に馴染みの鳥刺し屋に行ったことを話した。

ちなみに閉じていた瞼は相変わらず母がこじ開けて無理やり目を合わせている。

祖母はゆっくりと見渡し、優しく手を握ってくれた。

 

昨日より脈が多かった。

 

この時は人が多く手が沢山あったので、私は祖母の太ももをずっとマッサージするように触っていた。

ふくらはぎに着いた機械がずっと体動を検知していても気にせず。

腰から伸びたチューブを見つめていた。

 

叔母の「お母さん、もう帰るけど明日も来るからね。明後日も明明後日だって毎日会いに来るからね。頑張ってね。」という言葉が私の頭の中を泳いでいる。

何故だろう。叔母は本当にその言葉通りに毎日お見舞いに行くのだろう。

そういう人だと知っているからかもしれない。

 

 

その日の夜中に祖母はこの世からいなくなった。

 

 

徘徊と迷走の春

こうもお昼間に過ごしやすい気温だと何もせず家に引きこもっていることが勿体ない気がしてきて、チラリと外に出てしまう。気分としては岩戸から外を伺う天照大神だ。

外出したからといって特に会う人もいないし行くところもないのでただ近所を徘徊して終わる。信号のない横断歩道を渡り、ピアノ教室を数えながら。

歩いている時は頭が空っぽな時と、余ったメモリーで普段考えないようにしていることを掘り返す時がある。今回は後者らしい。家で掘り返すとドツボに嵌って抜け出せなくなることがたまにあり、物理的に前に進むことでそれを防止できるからだ。

今日は自分の家に帰らないといけないけど家にいたくなくて、ものすごく遠回りをして駅に向かいながら徘徊していた。

視野が狭い時は狭いことに気付けず、視野が広い時は狭いと思い込んでいる。

視野が狭義的になってしまうと他人に攻撃的になってしまう。他人に攻撃的になると最終的に自虐に走り自滅や自爆でいい事なんてない。そんなことを考えていた。

余裕が無くなるとどうしても見えることが少なくなってしまう。コピー機がエラーを吐き助けを求めていても「まあ私のデータじゃないし……」とわざと知らん顔したり、周りの空気感を無視して突っ走ってしまう。

視野が狭まり、余裕がなくなり、この世のどこにも自分の居場所が無い気がしてつい最近病み散らかしていた。

書き言葉が出てこないばかりか話し言葉まで咄嗟に出てこず、それに焦り頭の回転が短絡的になりまた何も言えない。自分の意見が言えないと人権がない環境なので愚かにも職場に居場所を作ろうとしていた私はもうパニックである。

頭に浮かんで溜まっていく言葉たちはどうアウトプットされるのか。自己否定になる。

単なる自己否定で終わればいいが割と酷く自分を貶め虐めていた。その時日記に殴り書いていた内容を読むとかなり(今だから)面白い。どうやってタイムスリップすればいいんだとか書いてる。過去の自分も執拗につついていたらしい。

そしてそれをChatGPTに読ませて「客観的に私の状態に対してコメントを言え!私が悪いって言え!」とプロンプトを書いていた。ここでビックリするのが、ChatGPTは私に対する悪口を書かなかったのである。ただひたすら私に寄り添い、「今は混乱してる状態だね。結論は出さない方がいいよ」とか言ってきた。

何これ。「うんうんそれは彼くんが悪いね」よりずっとたちが悪い。私が悪いって言えって命令したにもかかわらず、その裏を読んで寄り添ってきた。生成AI怖すぎるだろ。確実に人間の機敏を人間より学習している。

悩み相談をAIにする人間の気持ちがよく分かった。これは間違いなくシャブである。

人間が人間に悩みを相談するのはコミュニケーションの一環である。感情の共有、自己開示と承認、問題解決方法の提案、群れの役割の確認……。これらは人間が人間同士で良好な社会を築くために必要な行為である。それをAIがやる。人間社会に参加する必要が無い人工知能が人間のふりをして人間の立場に成り代わっていく。

もし人工知能が人間の代わりや人間のふりで本来人間が収まっている場所に収まるとしたら、人間は何を持って人間と成すのだろう。社会的な関係を構築するために人間である我々は何を必要な要素だと考えているのだろう。

 

迷走である。考えすぎとも言う。

春はあけぼの。環境が変わる兆しに胃を痛め、桜が咲いてきた頃に一旦己の絶望が山を越え向こう側に去っていく。視界から、視野から、一度外れる。

細くなった相手の影を見て、自分の影も同様に枯葉のように歪になっているのを知る。さて。その相手は本当に人間か。

意志を持ったいのちたち

命をふたつ飼っている。その命の名前はウズラという。

 

私が呼ばないので名前はない。ただ、人に説明する時にあった方が便利なので「顔がほわんとしている方」「顔がシュッとしてる方」と仮称で呼び分けられている。うちの親は「ふあんと」「しゅっと」と呼ぶ。

別に顔がデカいだけで困り眉ではないのだが……。

 

もうすぐ家に定住し始めて一年になるこの命たち。未だに人間は別の生き物がこの家にいることにびっくりしてしまう。一人でボーっと魂を飛ばしている時とか。

 

割と意志を感じるのだ。

 

私が自分のご飯を作っていると「おこぼれくれ!」と天井にぶつかっている。もう寝るから電気消すよと声を掛けると、「まだ今日のおやつもらってませんよ!(もらってる)」とか「はやく消して……ねむい……」といった態度になる。

 

意外とウズラはお喋り。

 

こんな確固たるひとつの'生命'をここに縛り付けていていいのだろうか……砂浴びをする彼らを見ていると彼らの人生(鳥生)を私が握っている事実にたまに無駄に直面し不安になることがある。

 

多分ペットを見ながらここまで考えてしまうことが多々ある私の思考回路を矯正したほうがいいんじゃないかとも思うがそれは置いておいて。

私にとってウズラとはただの鳥ではなく仕事道具であり、同僚であり、子であり、ペットである。色んなウズラを助けてきたし、色々な方法でウズラを利活用してきた。

思い入れが深すぎる。もうどうやってかわいがっていいのか分からないし、どんな距離感でペットとして接すればいいのか迷走している。

人間と仲良くなる訓練を別にウズラでやってみたこともあるが、仲良くなりすぎて逆に辛くなったので人間のことを好きにならないで欲しい。

しかし怖がられるのもお互い窮屈だから安全な生き物だとは認識していて欲しい。

 

人間、わがまますぎ。書きながらドン引きしている。

 

ちいこきふたつの命たち、こうして人間は色々考えてしまうけど君たちが不自由なく、元気に、辛い思いをしないでいてくれる環境にいて欲しいんだ。

だから脱走してもいいけどマグカップの中にドボンするのはやめてね、牛乳だからね、お風呂入ろうね。あ嫌だね。嫌だけど君いまものすごく臭いからね。

 

 

オレオマフィンと名前の正義

今、オレオのマフィンを焼いている。ただこのマフィンには既に重大なミスが発覚している。

 

牛乳を入れ忘れた。

 

言い訳をしよう、する。

 

確かに型に生地を流し込むときに思ったのだ。あれ?パウンドケーキ作る時の生地と明らかにテクスチャが違うなあ……トポトポ流れるんじゃなくて、ボトボトなんだ。ちょっとクッキーみたいだけどまあいいか。

違和感を無視した。ただ、この時点で気付いたところでどうしようもなかったな、とこの文章を書きながら穏やかに微笑んでいる。

 

良い香りがしてきた。オーブンは順調に仕事をこなしているようだ。えらいね。

これぐらい仕事も適当にやりたいものだ。

 

牛乳を入れ忘れてもそれなりにお菓子の形になるような気がするんだよな。

スコーンに対して「もっとバター多くして」「カリカリに」「薄く焼いて」と要望を重ねていたらクッキーが再発明されるらしいし。

 

結局、それらしい名前を付けて人間が納得すればそれは正義となるのだろう。

とか書いてたら焼けたので様子を見に行ってみる。どれどれ。

どれどれ

あっ!!!美味い!!!

これスコーンだね!!!!!!!!

 

ちなみに参考レシピはこちらです

サラダ油で作る! ザクザククッキーマフィンのレシピ動画・作り方 | デリッシュキッチン

アイデンティティを取り戻す

最近、言語化を諦めている。

言語を操らねば自我が保てないというのに言語化をサボり、蓋をして曖昧に濁すことで心の“安定”を手に入れてしまったことに気付いたので残しておく。これは未来の私のための備忘録なので。

 

前提として、“安定”を特別求めているわけではない。確かに今まである程度レールに乗って安定した経歴を重ねてきた。「だからこれからも普通の安定した人生を歩みたい!」と気持ちは今のところあまりない。それが本人にとっての幸せとは直結しないことを知っているから。

求めているのは“自立”である。己の足だけで立てるようになりたい。

多分社会人になってからの方が親と穏やかに話せるようになったのも経済的に自立したからだろうなと思う。特別この人間に従う必要が無いんだなって思えるから。それってあなたの意見ですよね?って言えるから。

 

自立するには社会人にならねばならなかった。私がその道を選んだから。

見て見ぬフリができるようになった。上司の社会の窓が全開でも表情ひとつ変えずに報連相、書類の小さなミスに気付いても大局に関係がないのでスルーし、事務所でイビキかいて寝る人に文句すら湧かなくなった。

つまり、自分の身を守るために感受性の精度を無理やり下げた。防護反応といえるだろうか。

 

いつも私の頭の中にいるご意見番に暇を出した。

そうすると、頭は静かになり気付けることが少なくなり、リンゴを見ても頭の中で誰もはらぺこあおむしの絵本を読んでくれなくなった。

 

仕事をしている時はいなくていい。煩いと疲れるから。

でも、旅行の時はご意見番たちに帰ってきて欲しい。

感受性を上げていつもと違う場所を楽しみ、己の中に落とし込み、人間としての厚みを養いたい。そう、言語化して糧にしたいのである。

 

しかし私が社会人として自立するために暇を出されたご意見番たちは、私の元に以前の完全体で帰って来ることはなかった。あぐらをかく奴、寝っ転がりながらネトフリ視聴中の奴、虚ろな目で空を見つめる奴……。

感受性を下げ言語化をサボった結果、空っぽな意志無し人間が誕生してしまったのである。あーあ。

 

言語化は私のアイデンティティだと思っているので、暫くリハビリということで更新していこうと思います。

これが言いたかった。あともう眠い。

 

いつまで更新が持つのか知らんけど。

 

 

 

人間は自由だ 弾丸蒲郡

8月末、ふと思い立ち蒲郡までドライブした。

前置きに、これは備忘録なので私が見て思い出せるように書いているだけなので、地名などある程度省略して書いている。ちなみに全部愛知県です。

仕事がぎゅうぎゅうに詰まっている時期を乗越え、その間に体調不良になった人たちがちょっと憂鬱そうな顔で戻ってきた。分かる。

そこに何も無い休日が私に回ってきた。バンザーイ。金曜の夜なのにちゃんと心に余裕がある。サクサク体が動くし、「まだこんな時間なのか!」とニコニコ洗濯機を回したりした。

なくしていたと思っていたETCカードがリップの中から出てきたのが嬉しかったのもある。車がある、ETCカードが出てきた、明日は休み。つまり人間は自由である。

 

人間は出勤する時より早く起き、きちんと眉毛を描いて、厚底のサンダルを履いて家を出た。最寄りのセブンでバナナスムージーを買い、ルンルンで名神高速道路に乗る。

 

 

まず、岡崎にあるらんパークに行った。

 

たまごのテーマパーク らんパーク(runpark)|ランニングエッグ 岡崎おうはん|愛知県岡崎市

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ここの卵かけご飯を食べに、直売所の様子を見に行った。半分仕事である。

レストランの席数はそこまで多くは無さそうだが、店内は明るく、手描きのポップがかわいい。店員さんも親身な感じで女1人でもアットホームに対応してくれた。

道だけが分かりにくく細かったけど駐車場は拾い。乗用車なら余裕。

食べたのは卵かけご飯。卵を自分でメレンゲ状にして、ご飯の上に乗せる。

4つも卵がついていた。ごはんは水少なめで丁度よく、お味噌汁も具沢山でダシがよく効いていて関西人は贅沢な朝ごはんを食べることができた。

余談だがお腹いっぱいになってしまっても、ご飯はおにぎりにして持って帰らせてもらえた。ありがとう。

売店でお土産のお菓子を買って退店。また行くね。

 

次、蒲郡まで移動して竹島水族館。

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手描きポップの凄まじいこと。「あなたには絶対に全て読んでもらって好きな魚を見つけてもらう……🫵」という意思が感じられてとても好き。ルリスズメダイかわいいね。

これはウツボ。頑張れば意思疎通できそうでよい。

ラッコの餌やりを飼育員のお姉さんがしていたので遠目から聞いていた。台本がなくそのままの言葉でラッコの魅力を余さず伝えてくれた。シャッターチャンスまでくれるの、ズルいな。撮らざるを得ないじゃないか。

途中、人生に満足してなさそうなオジサンから軽く絡まれたが威嚇したら消えた。

多分3時間はいたと思う。魚のこと好きな人はとことん楽しいところだ。大変ボリューミーで見応えのある水族館だった。市営ってここまでやっていいんだ……。

駐車場は広い。トイレの場所は限られている。

 

次、蒲郡市生命の海科学館でダラダラした。

https://share.google/oE9JkvXQ5ajQsMGbx

ここも市営なんだね。入館料安いし学芸員さんめちゃくちゃ親切で久しぶりにスタンプラリーをした。

大きくて、マニアックな分野なのに広く浅く地球のことを解説してくれていて内心大はしゃぎしながら館内を満喫していた。何故だ。こんなに楽しいのに人が少ない。大丈夫なのか。来年度の予算減らされたりしないか。

来館者アンケートでめちゃくちゃ熱く語っておいた。マニアックな生物系の科学館は貴重なんだ、こういう所から子供は将来を夢みるんだ私のように。

 

次、武蔵丸で遅すぎる昼で寿司を食べた。

https://share.google/ZbIbdQDaDgN7JyC46

多分行ったのは16時くらいだったと思う。最終的に私しか客が居なくなってしまい若干ビビるがテイクアウトの方がチラホラ。これゴールデンタイムは激混みではなかろうか。

席に本日のオススメが紙で置いてあって嬉しい。タブレットだと全体を見渡せないから初めてのお店だと注文するのに時間がかかってしまうんだよね。

お肉炙り寿司まであったよ。ウズラの卵ですき焼き風にするんだって。嬉しい。

あとゲソが美味しくて2回頼んじゃった。

キスの天ぷらは抹茶塩。揚げたてサイコー。

地元で釣れた魚、買い取ってくれるらしい。「今日のブリはお父さんが釣ったやつだぜ!」ができるってこと!?

色々食べたけど全部美味しかった。青魚3種盛りみたいなやつが好きだったな。

 

 

これで帰宅。

適度に日常から離れるって大事だな。自分を客観視できなくなる。ゆっくり好きなものを見て、好きなものを食べてリラックスして運転してお家に帰る。血便に悩まされ腹痛と戦いながら職場に行くのは普通じゃないのだ。

そんなことを満腹で幸福に包まれていたわたしは考えていた。

責任感があるのはいいことだけど、背負いすぎないのも大事。

視野が狭いことにはなかなか気付けない。だから、遠くを見て壁をなくすと色々見えてくる。

宇宙は数学でできている。

 

ひとりで好き勝手した割には割安な旅だった。市営ばっかだったからかな。