akagirexのブログ

気が向いた時に書く日記

KALDIでコーヒー配ってるあれ

多分、ブラックコーヒーが好きな人はKALDIのコーヒーが好きでも貰ってなさそうなあれ。試飲のことです。最初からそう言えや。

 

コロナウイルスが流行り始めてからパッタリ消えてしまった試飲。お店の入口に店員さんがコーヒーを青い紙コップに入れてくれる、演台みたいな小ちゃな台がポツンと置かれてるのを3年くらい来店する度に見ていた。時々、書きかけの手書きポップが置かれててウケたりなんかもした。嫌な客である。

 

店員さんにとっては試飲がないのってかなりラクなんじゃないかな、と思う。単純に業務が減っているし、店内各所に設置されてある紙コップ専用ゴミ箱の面倒も見なくていいのだ。付随したトラブルも無くなるしね。あれ、コーヒーなくても良くないか?

 

とか考えていた時もあった。

 

んな訳あるかい!人が淹れてくれたコーヒーが有難くないわけなかろう!!

と思ったのでこれを書いている。

 

今日KALDIに行ったら店の前に人だかりができていたのだ。愚かな私は「チッみんなクリスマスのアドベントカレンダーやらシュトーレンやらを買いに来たのだろ……楽しそうで羨ましい……」と言峰綺礼に鼻で笑われそうな偏見を持って人だかり外から店内に入った。

すると店内ですれ違った小学生が青い紙コップを持っているのである。

二度見した。やましいことは何も無いので堂々と小学生を二度見した。手元をである。

あ、あの紙コップは足ながKALDIコーヒーではないか!!!!

補足だが、私は脳内で「KALDIが配っている試飲コーヒー」のことを「足ながKALDIコーヒー」と呼んでいる(だから最初に試飲という言葉が出てこなかった)。足ながコーヒー。人の善意を足ながおじさんで例えるの本当にやめた方がいい。

 

バッ、と思わず陳列棚の下の方を見るとありましたよ。埋め込まれ式ゴミ箱が。紙コップがたくさん入った状態で。

なんかよく分からないけどすごく嬉しかった。店員さんの「コーヒーお願いしまーす」のちょっと投げやりな声も良かった。ゴミ箱を探しながら店内をゆっくり練り歩く人たち。あんなに狭いのに何故か他のお客さんとは一切視線が合わないまま行われる道の譲り合い。

 

試飲のコーヒーが復活しただけでこんなにKALDIが楽しくなるなんてことある……?

もちろん普通にKALDIは楽しい。よく分からない茶葉とか読めない調味料に挑戦するのが私は好きだ。

楽しいのはあれだ。人が見てるものが気になるやつ。コーヒーでつられた人たちが色んなところで立ち止まって商品を見ているので、自分が普段見てない商品に気付くことが出来る。

 

今日は鍋のつゆと冷凍のエッグタルトを買ってみた。明日のひとり鍋パ用である。

 

失って気付く大切さより、復活して思い知る存在感だなあと。

人間は忘れっぽい生き物であることをコーヒー1杯で感じた。

忘れたくないものを忘れてないか、ちょっと怖い。